管理のあり方∋纏を認める

 今度は仕事とアイデンティティの問題。個人のアイデンティティを形成するなかで、仕事の占める割合というのはかなり大きなものである。仕事は自分の能力の証しであり、人生の目的であり、また夢でもあるからだ。もしそうなら、自分がした仕事をきちんと認めてもらうことは、アイデンティティを保つうえで非常に大切なことになる。ちなみに、精神科医の立場から言えば、まわりの人々から存在を認めてもらえない人は、落ち込んだ気分のなかで、自分を否定するしかなくなってしまう。相手の存在を認めないというのは、モラル・ハラスメントで加害者が被害者に対してすることである。相手を無視することによって、象徴的に相手を消してしまうのだ。

 そこまでいかなくても、会社で働く人間は、仕事の成績はどうあれ、職業人としての存在が認められていないと、やる気を失い、一生懸命仕事をしようとしなくなる。P267「第11章モラル・ハラスメントが行われやすい環境」「働く人間として自分の仕事や存在を認めてもらえない」)

 

 この引用文には、社員のモチベーションを高め、気持ちよく働くために重要なことが書かれている。まず、私たちにとって職場で働くこと、すなわち仕事とは自分のアイデンティティを作る重要な要素である。そのくらい、自己に占める仕事の比重は大きいのである。そのため、その仕事を認めてもらえないと、自分の存在そのものが否定されるような気持ちになってしまう。これでは、モチベーションは高まらない。逆に仕事を認めてもらい、評価してもらえばモチベーションは高まることになる。そういう職場では、パワハラがなくなり、業績も上がる可能性が高いとも思う。部下の仕事を認めてやれる管理者なり、組織の理念、組織の文化が待たれている。

 

at 14:14, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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管理のあり方/祐崟の認識

 いや、職業人としての存在ばかりではない。企業の幹部が業績のことばかり気にして、社員が人間であることを忘れると、社員が持っている能力や技術など、有用性でしか社員を判断できなくなる。だが、そうやって、いわばチェスの駒のように扱われた社員たちのほうは、人間としての存在を認めてもらえていないという気持ちから、反抗するか、逆に絶対的に服従してしまう。

 このように人間を道具と見なすやり方は、上司と部下の関係のなかでもよく見られる。そこでは、対等な人間同士の関係という側面が薄れてきていて、上司が部下のことを人間ではなく、仕事に必要なモノのように考えるのだ。相手がモノであれば、「ありがとう」と言う必要もなければ、「よくやった」と言う必要もない。また、注意を払う必要もない。部下はただ、役に立つかどうかだけで判断されるのである。P268「第11章モラル・ハラスメントが行われやすい環境」「働く人間として自分の仕事や存在を認めてもらえない」)

 

 しかし、収益をあげるということと、社員を人間として尊重するということは、それほど矛盾することだろうか? いや、そんなことはあるまい。むしろ、この二つは密接に結びついているとさえ言える。実際、複数の会社を対象にアメリカで行われた研究によると、単に労働環境を整えるという以上に、会社が社員の状態に注意を払うようにすると、会社の業績は伸びるという結果が出ている。P271〜272「第11章モラル・ハラスメントが行われやすい環境」「働く人間として自分の仕事や存在を認めてもらえない」)

 

「人間性を認める」とは、言うはやさしいが、実際これほど難しいことはない。そのことが、この文章全体のテーマとさえなっているのだ。ただ、その一つの理解として、単なる労働力とは違う、機械のような労働力とは違う、あくまでも人間である、ということだろう。

 私たちは多くの場合、労働の対価として金銭を稼ぎ、生活を成立させている。だから、私たちは自分の労働を機械のように考えがちだ。生産性本位の管理はそういう考え方から派生するのだろう。

 私たちは機械であるわけではもとよりなく、あくまでも人間である。感情を持った人間である。確かに職場では労働によって対価を稼いでいるが、あくまでも人間である。そのため、感情とか心理を無視された場合、労働のモチベーションは下がってしまう。逆に、人間として配慮の行き届いた管理(マネジメント)がされれば、モチベーションは上がる。その結果、生産性が上がり、業績も上がるはずだ。安易に社員を労働力として、機械のように管理することは避けなければならない。

 

at 10:27, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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責任の所在の明確化

 現代の社会では責任の所在が曖昧になって、誰もがはっきりと責任をとろうとはしなくなっている。何であろうと、責任は人に押しつけ、自分は被害者のような顔をする――それがひとつの風潮になっているのだ。企業においてもそれは同じで、これが以前のようにピラミッド型のシステムであれば、まだしも責任の所在ははっきりしていたのだが、現在のようにネットワーク型のシステムになると、人に責任を押しつけるのはますます容易になってくる。その結果、たとえ明らかな失敗を犯したとしても、企業の経営者は責任をとろうとはしない。「自分の知らないところで、部下がやった」というわけだ。同様にして、部下や同僚にモラル・ハラスメントを行った人間も、自分に責任があったとは認めない。悪いのはほかの人々であり、そうせざるを得なくした会社のシステムなのであるP276「第11章モラル・ハラスメントが行われやすい環境」「曖昧な責任の所在」)

 

 一般的に、組織の管理原則として「責任と権限の一致」というものがある。そしてパワハラ行為が顕著になるのは、この原則が守られなかったときではないだろうか。すなわち、権限ばかりを振りかざし、責任を取ろうとしない行為自体が、パワハラだと言って良い。その結果、社内の秩序が維持できなくなり、さらに過酷なパワハラ行為が横行することになってしまう。

 たとえば、部下が退社したとする。その部下は、権限を振りかざす上司に不満があったと思われる。そういうとき、部下に対して業務の指示などの権限を振りかざしていたのであるから、その部下が退職したことに大いなる責任があるはずである。ところが、いま多くの会社の管理者は、その責任を取ろうとしない。

 この引用文では、ピラミッド型組織ならまだしも、ネットワーク型組織になって、さらに責任を取ろうとしない管理者が多くなったと述べられている。確かに、ネットワーク型組織において責任があいまいになったことは事実だと見られる。しかし、ピラミッド型組織においても責任を取ろうとしない管理者は増えているのであり、制度として管理者の責任を明確にすることが必要だと考えられる。そういう管理者が、「人間中心の職場作り」には必要不可欠ではないだろうか。

 

at 10:51, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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社会人としての法令順守

 企業というのは、社会の倫理に恥じないまっとうな経営を行われなければならない。そういった経営が行われれば、社員たちもまた健全に行動するものである。健康な企業からは、モラル・ハラスメントは生まれないのだ。企業が人を大切にすれば、そこで働く社員たちはそれに応える。あたりまえのことだ。(中略)いや、もちろん、なかには真剣に企業倫理について考えて、企業活動のなかで実践していこうとする素晴らしい経営者たちもいる。だが、それ以外の経営者たちは、自分の良心をごまかすためか、そうでなければ、ただ格好をつけるために、「倫理」という言葉を口にしているのにすぎないのだ。P452「第14章予防する」「利益と倫理」)
 
いや、「利益を追求する」という目標それ自体がモラル・ハラスメントに結びつくわけではない。企業であるからには、「利益の追求」という目標を掲げるのは当然である。問題は、どんな手段でその目標を達成するか、ということなのだ。その手段があまりにも性急で、社員の人間性を考慮に入れないものであれば、モラル・ハラスメントに結びつく――そういうことなのである。(中略)
 したがって、問題なのは、利益をあげるためなら、たとえば法に触れるようなことまでして、それを隠すような企業である。こういった企業は、目先の利益を追求することだけに夢中になるので、社員のことも道具のようにしか考えていない。そこで、モラル・ハラスメントが起こるのである。ところが、「最近の社員は能力が落ちた」とか、「忠誠心がなくなった」とか、嘆きの言葉を口にする。だが、そういった企業でトップになるのは、利益をあげるためならなんでもしてきた、よほど恥知らずな人間だけである。これでは職を失うのを恐れて、その会社に残っている社員たちがかわいそうだ。P275「第11章モラル・ハラスメントが行われやすい環境」「恥知らずなシステム」)
 
私たちは多くのケースで様々な企業と、顧客として接している。そして私に限らないと思うのだが、その企業の社内の人間関係が良好だと、気持ちよく担当者に接することができる。逆にぎすぎすとした悪い雰囲気の社内だと、不快になり、商談も躊躇しがちである。長年、顧客として付き合うことのできる会社とは、社内の人間関係とか、雰囲気が良い企業である。
 それでは、良い人間関係で、良い雰囲気の会社とは、どのような会社であろうか。それは、経営者、管理者、社員のそれぞれが、社会人として法令順守している、法律を守っていると思われる会社である。たとえば、日本には労働基準法という労働者のための法律があるが、それがきちんと守られているような会社は、結果として良い人間関係が生まれ、雰囲気の良い会社となる。私たちは、そういう会社とは顧客として接しやすく、商談を進めたくなる。また、取引業者に対して様々な法律をきちんと守っている会社は、これも結果として人間関係が良好で、雰囲気の良い会社になる。会社とは、取引業者と共存共栄するというのが前提であり、過度な価格交渉などは、法律・倫理を守るという精神からはかい離しているのだ。そこに適切な企業倫理、企業ルールの実践はない。
 こうして考えてくると、経営者、管理者、社員それぞれが社会人として法律を守り、社会的役割をきちんと果たしている会社が、人間関係も良好になり、雰囲気の良い会社であると言えるだろう。そういう会社では、パワハラ行為も起きにくい。その結果、会社としての生産性も高まるのだと思う。
 

at 10:25, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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競争ではなく共生

 それでなくとも、企業のなかでは、「誰かと競争して権力争いをする」というのが会社員としての普通の状態になっている。そこでは人は相手の言うことに興味を持って耳を傾けるのではなく、どうやったら相手を蹴落とすことができるか、そればかり考えている。その結果、社内には警戒心ばかりが強まり、それと同時にあらゆる創造性の芽がつまれてしまう。何か新しいことをしようとすると、その計画はつぶされ、上司や同僚の皮肉や嘲笑を浴びることになるのである。これは要するに、企業そのものの体質がモラル・ハラスメント的になっているということである。P94「第2章モラル・ハラスメントであるもの」「権力を得るために人を物扱いするということ」)
 
いまから10年以上前になるだろうか。大企業はもとより、中小企業においても給与の「成果報酬制度」が急速に導入された。それから長年が経過するわけだが、この制度は失敗だったと言われている。いまだに社員の評価制度がある企業は多いのだが、それによる過度な制度としての「成果報酬制度」は、社員のモチベーションを下げてしまうという指摘は多い。
 その原因はどこにあるのだろうか。私は、成果報酬制度は社員間の競争意識を高める目的をもったものであり、そこに失敗の原因があると思うのだ。現在、社員の働きぶりを評価して、それを給与制度にある程度反映させることは、制度として残っている。その一方で、過度な成果報酬制度は後退している。その原因は、成果報酬制度の目的が、社員間の競争意識を過度に促進することであり、気持ちよく働くことのできない職場になってしまうからではないだろうか。
 私は、過度な競争意識の促進は、職場の雰囲気を悪くすると思う。お互いの疑心暗鬼を生み、人間性を阻害することにつながると思う。社員間の人間関係は、競争理念ではなく共生理念が必要である。そこに「人間中心の職場作り」の要点がある、と思うのだ。
 社員の働きぶりを評価し、その成績をある程度給与に反映させることは必要かもしれない。それが社員のモチベーションを高めるために必要だと考える経営者も多いだろう。ただ、その場合も、その評価が公平なものでなくてはならない。その制度設計は非常に難しく、完全に公平な制度はなかなか作りづらい。それも私が成果報酬制度導入に消極的になる、もう一つの理由である。
 過度な競争意識を抑制することは、パワハラ行為を減らし、「人間中心の職場作り」に不可欠である。職場で働く社員が、お互いに共生意識を持つことができるような制度を、経営者や管理者は考えてもらいたいものだ。
 
 

at 14:47, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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コミュニケーションの促進

 現実の企業というものは、一方でコミュニケーションの研修に社員を参加させておきながら、もういっぽうで自由な発言ができない態勢になっていることが多い。こういった状況のなかで、どうやったら社員のコミュニケーションを活発にすることができるのだろう?(中略)企業にとって大切なことは、ともかく話を聞くことである。まずは社員の声に耳を傾けること。とりわけ、病気や個人的な悩み、職場の人間関係などが原因で一時的に能力を発揮できずにいる社員に対しては、できるだけ声をかけて、話を聞くことが重要である。P448「具体的な予防戦略」「社員の間のコミュニケーションを活発にさせる」)
 
 だが、このあとにもまた述べるように、管理職としてもっと大変な状況にあっても、部下を尊重し、部下の話を聞き、その批判を受け入れて、自分のやり方を反省することはできるはずなのだ。P340〜341「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「加害者になる人はどんな人か」)
 
「職場におけるコミュニケーションの促進」が大切なことは言うまでもない。しかし上司にとって「コミュニケーションの促進」というと、会社の方針とか、仕事の指示とか、仕事の目標というものを部下に伝える、いわば「上意下達」することだと考えがちである。また同僚間のコミュニケーションにおいても、自分の仕事の仕方、考え方というものを相手に話して伝えるとことが最重要だと考えがちである。
 もちろんこうした能動的な姿勢も大切ではあるのだろうが、むしろ、よく聞く、という受動的な姿勢も必要ではないだろうか。上司は部下の話をよく聞き、同僚間においても相手の話を聞くことがより重要なのである。「コミュニケーション」というのは、あくまでも双方向なものであり、「話して聞く」のであり、「聞いて話す」のである。つまり相手の話を「よく聞く」という行為が非常に大切なのだ。
 とかく私たちは、「話す」ことが大切だと考えがちである。しかも職場というのは、大きな声で話す、強引に自分の考え方を話す、そうした社員が評価されやすいという傾向がある。
しかし私は、コミュニケーションの促進のために「聞く」ことの重要性を強調したい。それが人間関係の改善に寄与すると考えたい。それによって、パワハラ行為のない働きやすく、人間中心の職場作りが可能になると思うのだ。
 

at 11:08, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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職場における人間関係

 こうして、職場では仕事上の対立や感情の行きちがいなど、さまざまな人間関係の問題が生じるのであるが、人間関係の問題であるだけに、当事者同士が話し合ったり、お互いを理解することができれば、状況は大きく改善されるものである。もし当人同士でそれができなければ、まわりの人間が手伝ってやればよい――管理職というのは、まさにそのためにいるのだ! だが、ここでそういった揉めごとの芽が摘まれず、逆に社内の派閥争いや、そうでなければ<変質的な>人間に利用されれば、この状況はたちまちモラル・ハラスメントに進んでしまうだろう。その場合、当事者同士は、普通の時以上に、自分たちではもうどうすることもできないからである。P346「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「仕事上の対立や感情的な行きちがい」)

 

 この引用文でわかることは、ちょっとした仕事上の対立や感情の行きちがいなどによって、パワハラ行為が横行するようになってしまうということである。つまりちょっとして人間関係のあつれきが、パワハラ行為を誘発してしまうのである。その結果、くり返しになるが、社員のモチベーションを下げ、生産性をも下げてしまうのである。

 職場で働く社員への、どのアンケート調査を見ても、職場で働きたくない、退社したいと思う理由は、「人間関係が悪い」というものである。多くの職場で働く社員が、「人間関係」で苦しんでいる。その背後にパワハラ行為が隠れていることも多いだろう。それほどに職場の人間関係を良好なものに維持することは難しい。

 次項では、人間関係を良好なものに維持するにはどうすべきかを考えてみたい。人間関係の改善は非常に難しいことだが、その問題を避けては、「人間中心の職場作り」を達成することはできない。職場における最大の問題が人間関係にあるのだ。

 

at 13:47, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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快適に働ける関係性

 周囲の人間の支えということであれば、モラル・ハラスメントの場合、実を言うと、家族や友人の支え以上に、職場の人間の支えがあることが望ましい。だが、この支えはなかなか得ることが難しい。モラル・ハラスメントが「変質的な」人間によって行われていれば、「火のないところに煙は立たない」式の噂が広まり、被害者に対する同情は集まらないからである。また、被害者が本人に責任のないことで攻撃されているとわかれば、なおのこと、周囲の人々は被害者をかばいにくくなる。責任のないことで攻撃されるのであれば、下手にかばって、今度は自分が標的にされたらかなわないからである。自分以外の人間が標的になってくれたのは、むしろ喜ぶべきことなのだ。というわけで、被害者に対して行われている行為が不当だと感じていても、自分の職を守るために、つい被害者から距離をとってしまうのである。
 だが、私のもとに相談に訪れた被害者たちは口をそろえてこう言う。「どんな短い言葉でもいい。ほんのちょっぴり励ましてくれれば、それが何よりの助けになる」と・・・。これはうなずける。というのも、モラル・ハラスメントの状況でいちばん辛いのは、ひとりぼっちにされてしまうことだからである。P328「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「モラル・ハラスメントに抵抗するための要素」)
 
 社員のモチベーションをつくる要素として、給与の多寡、労働時間の多寡、休暇の取りやすさなどの労働条件が大きなものであることは言うまでもない。しかしそれ以上に、社員のモチベーションを高めるためには、快適に働ける関係性が作られることが大切だ。その場合の関係性とは、それぞれの社員が相互に支え合う関係になることである。それは、社員間の人間関係が良好なことと同意だと私には思える。
この引用文では、モラル・ハラスメントの被害に合った場合に、ほかの社員のなぐさめ、励ましによって救済されることが多いと述べられている。しかしこの社員間の良好な人間関係というものは、モラル・ハラスメントを被った場合だけでなく、いかなる職場の場面でも必要なことだと考えられる。その結果、社員のモチベーションは高まり、生産性も上がる。
「人間中心の職場作り」をするために、管理職はもちろん、すべての社員がそのことを念頭において働きたいものである。それぞれの社員が相互に支え合う関係性を構築したいものである。ここからは、その良好な関係性を構築するための働き方、管理の仕方、制度のあり方を考えていきたい。
 
 

at 13:35, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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パワハラのない職場

 前章において、「職場で横行するパワハラ(モラハラ)」について考えてきた。私には、現代の職場について考えるとき、ネガティブな要素としてのパワハラを考えることが不可欠だと思われた。それほど多くの職場でパワハラ行為は横行しているのであり、人間中心の職場作りをするうえで、それを考えることが不可欠だと思われた。そしてパワハラ行為のない職場が理想であり、この章のテーマである「人間中心の職場作り」には必要なことだと考えられた。

 パワハラが横行する職場では、社員のモチベーションは下がってしまう。そこでは職場の関係性、すなわち上司と部下の関係、社員同士の人間関係が悪い。そしてそれらの関係性が悪いということは、社員が働く職場環境が悪いということである。社員のモチベーションが下がるのだ。その結果、職場の生産性も下がってしまう。逆に、パワハラのない職場においては、職場の関係性は良好であり、社員のモチベーションは上がる。

「パワハラのない職場」と「人間中心の職場作り」とは、その考え方において、多くの面で重なり合うのである。そこで、もう少し『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』の著作から引用しながら、「人間中心の職場作り」を考えていくことにしよう。

 

at 10:16, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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この章を終わるにあたって

 たとえば、職場でモラル・ハラスメントが行われた時、まわりの人々はどうしてそれを見て見ぬふりをするのか? これは社会的な背景を考えなければ理解できない問題である。そういったことを真剣に分析することもなく、その結果として、ただモラル・ハラスメントの被害者を衰弱させ、精神病に追いやってしまうのであれば、私たちは社会的に重要な問題を棚上げすることになる。P18「はじめに」)
 
 この章は、ここまで職場のパワハラ(モラハラ)をテーマに記述してきた。そしてこの章の多くを良書である『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』から引用している。私はある意味で、この本に依存していると言えるかもしれない。
ただ、私はこの章で「良い職場づくり」「パワハラのない職場」「もしパワハラが起きた場合の具体的な回避策」を探求している。そのことが実際性としての、主な目的である。その場合に、この分野での優れた書籍である同書に依存することは、私にとって必然であった。
 この目的は、同書を読んでもらったほうが達成されやすいとさえ思う。同書の一読をお勧めするのもそのためである。また、同書は長編なので、同書の解説書として私のこの章をお読みいただいても結構である。
この項の引用文で指摘されているように、現在において、職場のパワハラ問題は頻繁に起きるという意味でも重大な問題である。パワハラ問題について考えることが、社会的にも大事なことになっている。
「パワハラ」という用語が表面化してそう多くの時間は経過していない。その一方で、パワハラ問題についての発言は増加している。いわば社会問題だと指摘されている。そういうパワハラ問題について、この章での私の記述が一石を投じることになれば幸いである。
 

at 10:33, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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