主観の問題

 モラル・ハラスメントを人間と人間の問題として見る時、この問題をいっそう複雑にし、解決を困難にしていることがある。それはまわりの人間や仲介者から見た「真実」が、加害者や被害者の気持ちからすれば「真実」ではないということである。すなわち、起こった出来事をどう感じるかは、それぞれの主観の問題なのである。その結果、現実にはそれほどたいしたことのようには見えないのに、被害者が侮辱だと受け取って、深く傷つくということはあり得る。ある事実をその人が受け取って、どう感じるかは、その人が受けた教育や育った環境、過去に経験した出来事やそこで受けた心の傷などによってちがってくるからだ。個人の人格というのは、単に性格だけではなく、その人の生きてきた歴史と結びついている。そして、そういったものが一体となった形で、ある出来事に対する反応が決まってくるのである。P293「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「モラル・ハラスメントをどう受け止めるかは人によってちがう」)

 

 パワハラ被害について考える場合、その被害が主観的なものだということは十分に考えておくことが必要だ。同じ職場の人間や、第三者にはなかなか見えないのに、当人は主観的に大きな被害意識を持っていることも珍しくない。第三者から見て何事もないようなパワハラ行為が、被害者にとっては大きな痛手となることもある。本人以外に見えないというのは、加害者の狙いでもある。被害者の被害意識は、主観的に認識されるので、個人差があるとも言える。そのことが解決を難しくしていると言えそうだ。

 

at 16:30, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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被害を受けやすい仕事への姿勢

  自己評価の低い人は、とりわけ他人の評価に敏感である。したがって、加害者から見て、相手の自己評価が低いとわかっている場合、相手が清廉潔白な人であったり、真面目に働いている人であれば、相手の仕事ぶりを疑うようなことを言えば、それだけで相手を傷つけ、大きなショックを与えることができる。P312〜313「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「自己評価が低い場合」)

 

 仕事というのはアイデンティティと密接に結びついていることが多い。仕事に関係することで褒められ、評価され、好感を持たれれば、自己イメージはよくなる。反対に、批判され、貶(おとし)められれば、自分とは何か疑うようになる。

(中略)実際、最初に言ったように仕事とアイデンティティが密接に結びついている場合――というより、過度に結びついている場合は、仕事の批判を仕事だけの問題として考えることができない。(中略)仕事とアイデンティティが切り離せなくなっているので、仕事の批判をされただけで、全人格的に傷ついてしまうのである。P313〜314「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「アイデンティティが仕事と過度に結びついている場合」)

 

 モラル・ハラスメントはほんの小さなことから始まるが、職場の人々の間の価値観のちがいがそのきっかけとなることも多い。たとえば、倫理的に潔癖で、職場で行われる「公私混同」を許せない人がいた場合、そういった人はモラル・ハラスメントの標的にされやすくなる。P320「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「生真面目で正直すぎる場合」)

 

 自分の仕事を大切にし、神聖化している人の場合も、モラル・ハラスメントを受けやすい。こういった人々は、仕事には特別な価値があると思っているので、つい融通がきかなくなるからである。P321「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「仕事を大切にし、神聖化している場合」)

 

 私たちは、仕事を特別な行為として捉えがちである。というのも、仕事によって金銭を稼ぎ、生活を成立しているわけだから、当然の認識かもしれない。ところがこうした特別な行為として認識することが、パワハラ被害を受けやすくしている、と指摘されている。また、詳しく後述するが、仕事についての自己評価が低い、ある意味では謙虚な性格というのも、パワハラ被害を大きくする傾向があるようだ。これも一般的には悪いことではなく、評価されるべきことかもしれない。しかし、被害を受けやすい仕事への姿勢として考えておく必要がある。

 

at 10:48, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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被害を受けやすい性格

 モラル・ハラスメントから身を守れない社員というのは不器用な人間が多い。自分の気持ちに正直すぎて、うまく立ちまわることができない――ある人たちが言うには、いまの社会に適応できない人々である。いや、それも当然だろう。現代の社会とは、政治家や大企業の経営者たちが平気で嘘をつき、またその嘘が大目に見られるような――要するに、「世渡り上手」になることがすべての価値に優先するような社会である。そういった社会では、正直すぎる人間がうまく適応できるわけがない。だが、はたして、嘘をつくのを拒否したり、批判精神を失わないことを「適応能力が不足している」と考えてもよいものだろうか? それよりも、集団のやり方が好ましくないと思った時に、それに盲目的に従わず、反対する人々がいたら、むしろ「安心できること」だとは思わないだろうか? 自分の価値観をしっかり身につけている人は、自分の意見をはっきり言うことが多く、それだけにまわりの人たちとも衝突しやすい。そうなったら、「異常だ」とか「変わっている」とも見られるだろう。だが、そんな言葉で片づけてしまってよいのだろうか?P323「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「仕事を大切にし、神聖化している場合」)

 

 ここではパワハラ被害を受けやすい性格として「不器用な性格」があげられている。ここで言われる「不器用さ」とは、「集団の中でうまく要領よく立ち回れない」ということのようだ。世渡りが不器用な性格ということになる。「社会に適応できない人」ということになるが、私が思うに、「器用な人」「世渡り上手な人」よりも正しい価値観、批判精神を持った人だと思う。ここでも一般的には評価できる性格であるにも関わらず、パワハラ被害を受けやすい性格と指摘されている。

 

at 10:38, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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被害を受けやすい性格

 内気で控えめ、対人関係に過敏な性格(いわゆる敏感性格)の場合も、モラル・ハラスメントにあいやすい。

 敏感性格とはドイツの精神医学者、クレッチマーの命名によるものだが、このタイプの性格の人々は、良心の葛藤に悩みやすく、他人の反応を気にしやすい。また、社会や人との接触に過敏な反応を示し、生命を脅かされる不安を感じやすい。そうして、自分自身に対してはかなり悪いイメージを持っている・・・。と、並べてみると、かなり弱点の多い性格であるが、これはもちろん精神病ではない。あくまでも性格である(そのことはきちんと言っておきたい)。

 そのほかにも、この性格の特徴をいくつか言うと、論理に欠けることを許さない。いい加減なことを嫌う(特に対人関係でいい加減なことができない)。何ごともおろそかにできない。噂や人の評判が気になる、といったことが挙げられる。

 また、普通の人よりも屈辱感を持ちやすく、人から攻撃を受けると、その出来事を気に病むあまり、苦痛のあまりうつ病や抑うつ神経症になったり、場合によっては妄想を抱くこともある。

 といったことから、この性格の人々はモラル・ハラスメントにあいやすいだけでなく、モラル・ハラスメントに対して過敏に反応する。実際、モラル・ハラスメントを受けると、敏感性格の人々は、代償機能が破綻し、精神病に追い込まれることも多い。P323〜324「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「敏感性格の場合」)

 

 被害を受けやすい性格の第一は、「敏感性格」である。対人関係に過敏な性格というのは、対人関係において配慮ができ、優しく接することができるという面がある。一般的には優れた性格として評価されるものだろう。しかし、パワハラ被害を受けるという意味では、そうした優れた性格が危険であると見られる。思いやりが裏目に出るのが、パワハラ被害なのである。これは危険な考え方であるかもしれないが、職場のパワハラ被害に限って言えば、このことが言えると同書では指摘されている。

at 11:14, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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どんな人が被害者になりやすいか

個性的な社員(P299)
能力があったり、目立ったりする社員(P300)
会社のやり方に従わない社員(P302)
社内で孤立したり、人間関係のネットワークを持たない人々(P304)
成績の悪い社員(P307)
一時的に仕事をする能力が落ちている社員(P308)
 
  これは引用している本書からの小見出しである。こうした人々が職場でパワハラを受けやすいとされている。ここに六つの小見出しがあるが、これを見て、こうした社員にならないように、被害者にならないように注意し、回避することができるのだろうか。私が思うに、確かにこうした傾向を持つ人がパワハラの被害者になりやすいとしても、それは結果論に過ぎない。むしろ、パワハラの被害者にはどのような社員もなり得るのである。あえて言えば、それは偶然の選択であり、どのような社員でも被害者になる可能性をもっているというのが、私の本書を読んでの感想である。
 
  モラル・ハラスメントは、自分とは異質なものに対する拒否感が原因となって行われることが多い。この拒否感は、性別とか、肌の色とか、ちがいがはっきりしたものに向けられることもあるが(この場合は差別に近くなる)、それよりは、ある人の個性など、もっと微妙なものに向けられることが多い。P299「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「こんな社員は標的にされやすい」)
 
  偶然に基づいてパワハラの被害者になると述べたが、そこには他者と異質な面があり、それがきっかけになってパワハラの被害を受けるということはあり得る。被害者の異質性がパワハラを誘発するのである。また、結果論に過ぎない傾向があるとはいうものの、被害を受けやすい性格、被害を受けやすい仕事への姿勢が本書で指摘されているので、ここから引用しながら概観する。
 
 

at 17:19, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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加害者の台頭

さて、現在のように仕事の世界で生き残る条件がだんだん厳しくなってくると、ことの善悪はともかく、企業のなかではある種の選別のシステムが働いて、「自己愛的な変質者」が組織の重要なポストに就くようになる。というのも、この人たちは冷たく、計算高く、情けというものを知らないので、人間的な感情のしがらみにはとらわれずに、合理的な選択を行うことができるからである。したがって、ある意味からすれば、企業でも官公庁でも、まっすぐにトップを目指せる人々なのだ。いや、これは単に能力だけの問題ではない。この人たちが社内で重要なポストに就けるのは、人を惹きつけ、支配することを知っているからである。たとえば、上下関係を使って部下を巧みに利用し、そこから得た利益を全部自分のものにする――そういったことに長けているからだ。「権力」というものが存在する、ほかのあらゆるところと同じように、企業というところは「自己愛的な変質者」を引き寄せる。そして、また、彼らのために広く場所をあけて待っている。だが、「自己愛的な変質者」たちが危険であるのは、「変質的な」行為を行うという理由からだけではない。まわりにい
る人々を自分に惹きつけ、集団全体を「変質的な」ものへと導く力を持っているからである。私たちは、このことを肝に銘じておく必要がある。P393「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「純然たるモラル・ハラスメント」)
 
 職場では、がむしゃらに声を大にして自己主張をする人物のほうが上位の権力者になりやすいと考えられる。これは、私の価値観で言えば困ったことなのであるが、そういう傾向を否定できない。この引用文からはこの私の考えと同様な傾向が指摘されていると思われる。パワハラ行為を働く「自己愛的な変質者」のほうが、上位の権力者になりやすい傾向を、職場という場ではもちやすいのである。
 ここまで、パワハラ行為の加害者について、引用文にそって考えてきた。パワハラ行為というものを加害者の立場で考えてみることは、パワハラ行為問題の解決の一助になるものと思われる。次節からは、被害者の立場から、パワハラ行為を考えてみたいと思う。
 
 
 

at 20:30, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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パワハラの実相κ兌措圓箸靴討硫坦下

 モラル・ハラスメントの特徴は、攻撃が執拗に繰り返されることである。その攻撃の仕方は、態度によるもの、言葉によるもの、行動によるものとさまざまで、そのひとつひとつを取ってみれば、たいしたことではないと見えることが多い。しかし、それが互いに関連した形で何度も繰り返されることによって、破壊的な力を持つことになるのだ。P43「第1章モラル・ハラスメントでないもの」「一時的な攻撃」)
 
「自己愛的な変質者」とは、自己愛的な性格が「変質的な」段階まで高まってしまった人間である。この性格の人々は、相手を警戒し、「相手を操って支配する」という形でしか人間関係をつくれない。相手を人間として認め、お互いの個性のちがいから自分を豊かにしようとは、夢にも思わない人間なのだ。「自己愛的な変質者」にとって、他人とはまず何よりも、打ち負かさなければならない相手なのである。したがって、この人々は、自分の力が脅かされないように、相手を支配するか、そうでなければ破壊するしかないと考える。そこで、まずは相手の弱みを見つけ、それを暴きたてて攻撃することによって、自分の優位を保とうとするのである。また、この時、その相手というのは、
「自己愛的な変質者」の心のなかでは、すべてに責任のある悪い人間――すなわち、破壊されなければならない人間になっている。だからこそ、執拗に攻撃を繰り返すのだが、この過程で「自己愛的な変質者」たちが、相手のアイデンティティが崩壊していくのを見て喜んでいるのはまちがいない。P388「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「純然たるモラル・ハラスメント」)
 
 この例でもわかるように、「自己愛的な変質者」のすることは、ひとつの「病気」の段階に達している。にもかかわらず、この「変質性」は精神病ではない――したがって、これを治療することに
よって、モラル・ハラスメントがなくなるわけでもない。私たちのなかには、誰のなかにも「変質性」の芽があって、モラルに関する教育を十分に受けてこなかったり、仕事をしたり、社会生活を送っていくうえで、モラルなんか気にかけていられないという状態になれば、その「変質性」の芽は大きく育ってしまうものなのだ。そういった意味で、「自己愛的な変質者」の生い立ちについて考えてみると、この性格の人々は、幼い時に受けた心の傷が原因で、性格が歪んでしまった人々であると言える。幼い頃、自分が教わった不健全な人間関係を大人になってから再現しているか、あるいは、自分が受けた精神的な暴力を、今度は加害者となって自分が繰り返しているか、そのどちらかなのだ。P391「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「純然たるモラル・ハラスメント」)
 
 ここで引用してきた『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』の著者は、パワハラ行為を行う人物のパーソナリティを「自己愛的な変質者」であると断言している。その人物は精神病とは言えなくても、自己愛的なパーソナリティ障害を抱えていると断言しているのである。
 私は精神医学者ではないから、そうした変質的人格をこのように断言することはできないが、私もある程度はそこに精神的障害を見てとれるように思う。私の用語で言えば、この場合の「自己愛的な変質者」とは、「利己的なパーソナリティ」であり、他社のことを思いやることのできない「エゴイスト」ということになる。そんな変質的人格の人物がパワハラ行為を起こしやすいのではないだろうか。
 

at 13:06, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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パワハラの実相そ乎朕翰

  集団というのは、一体感が強ければ強いほど、全体のやり方に従わないと居心地が悪くなるものである。みんなと一緒でなければ、仲間はずれにされる。あるいは、モラル・ハラスメントを受ける。そう思うと、つい恐怖にとらわれて、ほかの人と同じように考えてしまう――というよりは、ほかの人はこう考えているだろう、というその考えに合わせて考えてしまう。その結果、アリストテレスが言うように、『どんな馬鹿げた意見であっても、もしそれが一般に広く認められているとわかったら、人は簡単に受けいれてしまう』(『二コマコス倫理学』より)、そういった状態ができあがってしまうのである。
 これをまた別の角度から見ると、「集団というものは、ひとりのリーダーを前に立てて、あとの人々はちょうど羊の群れのように、そのリーダーのすることに無批判に従う側面がある」、ということでもある。ショーペンハウアーが言うように、『全員に共通する意見というのは、よく調べてみると、二人か三人の意見であることが多い』のだ。このような形で、盲目的に誰かの言うことを従ってし
まう傾向は、上層部から中間管理職、ひらの社員にいたるまで、企業組織のあらゆるレベルで見ることができる。いや、企業の経営者も、羊の群れの一員になるという誘惑から逃れられない――その結果、経営に対する判断を自ら下さないで、専門家やコンサルタントの意見にそのまま従ってしまうということが起り得るのである。(P377〜378「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「モラル・ハラスメントをする集団に従ってしまう人々」)

 ここで言う「変質の伝達者」とは、いくらおかしなものであっても、上層部の意志をそのまま実行に移そうとして、人を傷つけてしまう人々のことである。たとえば、会社のある部署が上層部から実現困難な目標を与えられた時、その部署の人々は、その目標を達成するために、自分たちのなかで成績の悪い人たちを排除することがあり得る。命令を実行するためであれば、同僚を傷つけることなどなんとも思わなくなってしまうのだ。
 もしそうなら、ある社員を辞めさせようと思った場合も、会社の上層部はその社員が会社にとって望ましくない存在だということを同僚の社員たちに知らせてやればよい。そうすると、同僚の社員たちは、権威に対する恐怖や服従の心理から、その社員を仲間はずれにして、孤立させる――すなわち、これまでさんざん述べてきたやり方で、モラル・ハラスメントを行う。その結果、その社員はいわば同僚たちから追いだされる形で、会社を辞めていくことになるのである。
 ある組織のなかで、自分が信頼を置いている「権威」から命令を受けた時、人はその命令を実行することに関しては責任を感じて、自ら進んでその行為をなしとげる。だが、その行為を行うこと、あるいは、その行為の結果については、まったく責任を感じない。自分はただ、「命令されたからや
った」と考えるのである。(P378〜379「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「変質の伝達者」)

   職場においては誰もがパワハラの被害者になる可能性がある。その一方で、パワハラの加害者になる可能性も誰もが持っている。そうした可能性を肯定しなければ、パワハラを理解することも、パワハラを回避することもできないだろう。
その要因の一つが、職場という、組織、集団の中でパワハラ行為がなされるというところにある。この場合、上司一人のパワハラ行為であっても、組織、集団の中でその行為が加速されることがある。この場合のパワハラ行為とは、組織、集団によるいじめとしてとらえる必要があるかもしれない。発端は上司一人の行為であっても、それが組織、集団の中で悪い意味で伝播してしまうのである。パワハラ行為について考える場合、そういう組織心理、集団心理を無視することはできない。





 
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at 10:25, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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パワハラの実相6寡歐

 恐怖はモラル・ハラスメントを行わせる大きな原動力のひとつである。というのも、人は恐怖を感じた時、相手に対して暴力的になるからだ。自分がやられる前に相手をやっつけてしまわなければならない。人は自分の身を守るために、相手を攻撃するのだ。この場合、恐怖は次の恐怖を生みだすといった形で、複雑に絡んでいく。誰もが加害者になると同時に、被害者にもなる可能性があるのだ。(P60「第1章職場におけるモラル・ハラスメント」「恐怖」)

 他人に恐怖を覚えると、まわりの人全員を警戒しなければならなくなる。他人に利用されないよう、弱点を隠す必要も出てくる。もし誰かを潜在的な敵で、危険なライバルだと考えるならば、やられる前にやってしまわなければならない・・・。前著で述べた「自己愛的な変質者」はとりわけ他人に対する恐怖が大きい。このような人々にとっては、自分に服従しない人、自分の魅力に屈しない人はそれだけで危険なのである。
 恐怖を抱くと、他人は悪魔のように思える。自分は弱く、脅かされていると感じるので、相手が攻撃的に見えるのだ。そういった気持ちから、実際には脅かされていないのに、相手に対してモラ
ル・ハラスメントを行う場合がある。(P63「第1章職場におけるモラル・ハラスメント」「恐怖」)

 加害者がパワハラ行為に走る動機、心理の一つに「恐怖」にかられるということがある。つまり職場の他者からパワハラ行為を受けるのではないか、自分が支配されるのではないか、迫害されるのではないか、という「恐怖」が加害者になってしまう心理的要因になるのだ。他者から迫害される前に、自分が他者を迫害しようとするのである。そこに「恐怖」という心理が介在するのだ。
 また、加害者がまだ新人のころ、組織の上司や幹部からパワハラ行為を受けていた場合、自分が同じような立場になると部下に対してパワハラ行為をすることがある。そういう世代間の連鎖ということも、パワハラ行為に及ぶ要因・動機があると考えられる。

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at 16:47, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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★パワハラ行為の実相加害者の悪意

   いっぽう、これまで数多くのモラル・ハラスメントの例を見た経験から言うと、モラル・ハラスメントの加害者は、個人的なレベルでは自分の行為や誤解や行きちがい、あるいは状況のせいにして、悪意を否認しようとする。
「そんなことを気にしていたなんて、知らなかったんだ」
「私は命令に従っただけだ」
「たいしたことはしていない。傷つくほうが神経過敏なんだ」
 このように、悪意の否認には巧妙な言いわけが用いられる。あるいは悪意そのものを意識してい
ない場合もある。人は誰かを傷つけたことは認めても、自分の悪意を認めることは難しいからだ(な
ぜかと言うと、それは自己イメージが悪くなるという形で自分にはねかえってくるからである)。したがって、悪意の存在は、たとえば加害者が気づいたとしても、曖昧にされてしまう。「ほんの冗談
だよ。気にするほうがおかしいんだ」
 いっぽう被害者のほうからすると、同じひどいことをされたのなら、加害者に悪意の存在を認めてほしいと思うのが普通である。悪意がはっきりしているなら、それに対して抗議をすることがで
きるからだ。また、自分では暴力をふるわれていると思っているのに、「暴力をふるったつもりはない」と言われると、自分の感覚が信じられなくなるということもある。正常な感覚を取り戻すためには、悪意を認めてもらうしかないのである。(P87〜88「第2章モラル・ハラスメントであるもの」「悪意の否認」)

   ところで、モラル・ハラスメントとの関係で、この「自己愛的な変質者」の行為を考えると、この人々は自分のしたことを悪いと思っているのだろうか? さまざまな機会に本人たちに訊いてみると、本人たちは一様に否定する。彼らは絶対に自分たちの過ちを認めない。したがって、謝罪もしない。彼らが後悔するとしたら、「やり方がまずかった」と思った時だけである。実際、モラル・ハラスメントだとはっきりわかってしまったとしたら、それは巧みに隠しきれなかったからだ。すなわち、自分たちのやり方には、まだ改良の余地があるということである。(中略)
 いや、この人たち――「自己愛的な変質者」たちには、良心とかそういったものはない。ただ、「これ以上のことをすると、警察に捕まって、自分が不愉快な目にあう」という認識があるだけだ。もしそうなら、自分が悪いことをしたとは思うはずがない。しかし、それでも、この人々の心のなかには、心の深いところにひそんだ「根深い悪意」といったものがあるように思われる。といっても、もちろんこの人々が自分のなかのその悪意の存在に悩んで、精神科医の診療所を訪れるわけではない。この人たちは、自分たちの行動がまったく正常なものだと思っているからだ。だから、治療を受けにくるなんて、とんでもない。もし、この人たちが診察室にやってくるとしたら、それはどうやったら、もっと巧みに「変質性」を隠すことができるか、それを訊きにくるのである。(P392〜393「第12章モラル・ハラスメントに関わる人々」「純然たるモラル・ハラスメント」)

 パワハラの実相とは、加害者が悪意をもって精神的暴力をふるい、被害者を傷つけることにある。ところが、その悪意を判定・断定することが難しい、すなわちパワハラを判定・断定することは難しいとのことは、前述したとおりである。その要因の一つが、パワハラの加害者が自分の悪意を否認する、認めようとしないことにあるのだ。多くの場合、加害者は悪意を認めることはない。被害者の受け取り方が間違っている、被害者の認識が間違っているというスタンスを、加害者は取るのである。
 被害者としては、加害者が悪意を認め、謝罪でもすることになれば、パワハラから救済される。ずいぶんと傷ついた精神を救済されるはずである。しかし、加害者は悪意を否認し続けることがほとんどだ。そのことがパワハラの解決を難しくしているのである。

at 16:54, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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