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村上春樹エッセー抜粋

『職業としての小説家』村上春樹 螢好ぅ奪繊Ε僖屮螢奪轡鵐鞍行
第八回「学校について」を全て転載(僕がこのエッセー・意見に共感したため)
 
今回は学校の話をします。僕にとって学校はどのような場所(あるいは状況)であったのか、学校教育は小説家である僕にとって、どのように役に立ってきたのか、あるいは役に立ってこなかったのか? そういうことについて語ってみたいと思います。
 僕の両親は教師でしたし、僕自身もアメリカの大学で何度かクラスを受け持ったことはあります(教員免許みたいなもとは持っていませんが)。しかし率直に申し上げまして、学校というものが僕は昔からわりに苦手でした。自分の通った学校について考えると、こんなことを言うのは学校に対してまことに心苦しいのですが(すみません)、あまり良い思い出は蘇ってきません。首筋がなんだかもさもさとむず痒くなってくるくらいです。まあこれは、学校そのものに問題があったというよりは、むしろ僕の方に問題があったということかもしれませんが。
 いずれにせよ、大学をなんとかようやく卒業したときは、「ああ、これでもう学校に行かなくてもいいんだ」と思ってほっとしたことを覚えています。やっと肩から重い荷物を下ろすことができたという感じでした。学校が懐かしいと思ったことは(たぶん)一度もないかもしれない。じゃあどうして僕は今頃になって、わざわざ学校について語ろうとしているのか?
 それはおそらく僕が――もう学校から遥か遠く離れた人間として――そろそろ僕自身の学校体験について、あるいは教育というもの全般について、感じていることや思っていることを、自分なりに整理して語ってもいいんじゃないかと思うようになったからだと思います。というか、自分を語るにあたって、ある程度そのへんを明らかにしておくべきなんじゃないかと。またそれに加えて、最近になって、登校拒否(回避)をした経験のある何人かの若い人と会って話をしたことも、あるいはその動機のひとつになっているかもしれません。
 
 本当に正直なところ、僕は小学校から大学まで一貫して、学校の勉強がそんなに得意ではありませんでした。とくにひどい成績だったとか、落ちこぼれだったとか、そういうわけではなくて、まあそこそこはできたとは思うんですが、勉強するという行為自体がもともとそんなに好きではなかったし、実際あまり勉強しなかった。僕のかよった神戸の高校は、公立のいわゆる「受験校」で、一学年に六百人を超える生徒がいるような大きな学校でした。僕らは「団塊の世代」ですから、なにしろ子供の数が多かったんです。それでそれぞれの科目の定期試験の、上位五十人くらいの名前が公表されるのですが(たしかそうだったと記憶しています)、そのリストに僕の名前が載ることはまずなかった。つまり上位一割くらいの「成績優秀な生徒」というのではまったくなかったわけです。まあよく言って、中の上というあたりではなかったかと思います。
 なぜ学校の勉強を熱心にしなかったかというと、いたって簡単な話で、まずだいいちにつまらなかったからです。あまり興味が持てなかった。というか、学校の勉強なんかより楽しいことが世の中にはたくさんありました。たとえば本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見に行ったり、海に泳ぎに行ったり、野球をしたり、猫と遊んだり、それからもっと大きくなると、友だちと徹夜麻雀をしたり、女の子とデートをしたり……というようなことです。それに比べれば学校の勉強というのはかなりつまらなかった。考えてみれば、まあ当たり前のことですね。
 でも僕としては、勉強を怠けて遊びほうけているという意識はとくにありませんでした。本をたくさん読んだり、音楽を熱心に聴いたりすることは――あるいは女の子とつきあうことだって含めていいかもしれませんが――僕にとっては大事な意味を持つ個人的な勉強なんだと、心の底でわかっていたからだと思います。ある意味ではむしろ学校の試験なんかより大切なものなんだと。自分の中で当時、どれくらいそのへんが明文化され、また理論化されていたか、正確には思い出せないのですが、「学校の勉強なんてつまらないよ」と開き直れる程度には認識していたような気がします。もちろん学校の勉強でも、興味のあるトピックについては自ら進んで勉強もしましたが。
 それから他人と順位を競い合ったりすることに、昔からあまり興味が持てなかったということもあります。何も格好をつけて言うわけじゃないんですが、点数とか順位とか偏差値(僕が十代の頃にはありがたいことに、そんなものは存在しませんでした)とか、そういう具体的に数字に表れる優劣にもうひとつ心が惹かれないのです。これはもう生まれつきの性格という以外にないと思います。負けず嫌いな傾向も(ことによっては)なくはないんですが、他人との競争というレベルでは、そういうものはほとんど出てきません。
 とにかく、本を読むことは当時の僕にとって何よりも重要でした。言うまでもないことですが、世の中には教科書なんかよりずっとエキサイティングで、深い内容を持つ本がいっぱいあります。そういう本のページを繰っていると、その内容が読む端から自分の血肉になっているという、ありありとした物理的な感触がありました。だから試験勉強を真剣にやろうというような気持ちになかなかなれなかった。年号や英単語を機械的に頭に詰め込んで、それが先になって自分の役に立つとはあまり思えなかったからです。系統的にではなく機械的に暗記したテクニカルな知識は、時間が経てば自然にこぼれ落ちて、どこかに――そう、知識の墓場みたいな薄暗いところに――吸い込まれて消えていきます。そういうもののほとんどには、いつまでも記憶に留めておくだけの必然性がないからです。
 そんなものより、時間が経っても消えずに心に残るものの方が遥かに大事です。当たり前の話ですね。しかしそういう種類の知識にはあまり即効性はありません。そういう知識が真価を発揮するまでには、けっこう長い時間がかかります。残念ながら目前の試験の成績には直接結びつきません。即効性と非即効性の違いは、たとえて言うなら、小さいやかんと大きなやかんの違いです。小さなやかんはすぐにお湯が沸くので便利ですが、すぐに冷めてしまいます。一方大きなやかんはお湯が沸くまでに時間がかかるけれど、いったん沸いたお湯はなかなか冷めません。どちらがより優れているというのではなく、それぞれに用途と持ち味があるということです。上手に使い分けていくことが大事になります。
 
 僕は高校時代の半ばから、英語の小説を原文で読むようになりました。とくに英語が得意だったわけじゃないんですが、どうしても原語で小説を読みたくて、あるいはまだ日本語に翻訳されていない小説を読みたくて、神戸の港の近くの古本屋で、英語のペーパーバックを一山いくらで買ってきて、意味がわかってもわからなくても、片端からがりがり乱暴に読んでいきました。最初はとにかく好奇心から始まったわけです。そしてそのうちに「馴れ」というか、それほど抵抗なく横文字の本が読めるようになりました。当時の神戸には外国人が多く住んでいたし、大きな港があるので船員もたくさんやってきたし、そういう人たちが、まとめて売っていく洋書が古本屋にいけばいっぱいありました。僕が当時読んでいたのは、ほとんどが派手な表紙のミステリーとかSFとかですから、それほどむずかしい英語じゃありません。言うまでもないことですが、ジェームズ・ジョイスとかヘンリー・ジェイムストカ、そんなややこしいものは高校生にはとても歯が立ちません。しかしいずれにせよ、本を一冊、最初から最後までいちおう読めるようになりました。なにしろ好奇心がすべてです。しかしその結果、英語の試験の成績が向上したかというと、そんなことはぜんぜんありません。あいかわらず英語の成績はぱっとしませんでした。
 どうしてだろう? 僕は当時、そのことについてはけっこう考え込んでしまいました。僕より英語の試験の成績が良い生徒はいっぱいいるけれど、僕の見たところ、彼らには英語の本を一冊読み通すことなんてまずできません。でも僕にはおおむねすらすら楽しんで読める。なのにどうして、僕の英語の成績は相変わらずあまり良くないのだろう?それで、あれこれ考えた末に僕なりに理解できたのは、日本の高校における英語の授業は、生徒が生きた実際的な英語を身につけることを目的としておこなわれていないのだということでした。
 じゃあいったい何を目的としているのか? 大学受験の英語テストで高い点数を取ること、それをほとんど唯一の目的としているのです。英語で本を読めたり、外国人と日常会話ができたりなんてことは、少なくても僕の通った公立校の英語の先生にとっては、些末なことでしかありません(「余計なこと」とまでは言いませんが)。それよりひとつでも多くのむずかしい単語を記憶したり、仮定法過去完了がどういう構文になるかを覚えたり、正しい前置詞や冠詞を選んだり、というようなことが重要な作業になります。
 もちろんその手の知識も大事です。とくに職業として翻訳をするようになってからは、そのような基礎知識の手薄さを、改めて痛感しました。でもそういう細かいテクニカルな知識は、その気にさえなれば、あとからいくらでも補強できます。あるいは現場で仕事をしながら、必要に応じて自然に身につけていけます。それよりもっと大事なのは「自分は何のために英語(あるいは特定の外国語)を学ぼうとしているのか」という目的意識です。それが曖昧だと、勉強はただの「苦役」になってしまいます。僕の場合の目的はとてもはっきりしていました。とにかく英語で(原語で)小説が読みたい。とりあえずはそれだけです。
 言語というのは生きているものです。人間も生きているものです。生きている人間が生きている言語を使いこなそうとしているのだから、そこにはフレキシビリティーがなくてはなりません。実に当たり前のことなんだけど、学校というシステムの中では、そういう考え方はぜんぜん当たり前のことではなかった。そういうのはやはり不幸なことだと僕は思うんです。つまり学校というシステムと、僕というシステムがうまくかみ合っていなかったということになります。だから学校に行くことがあまり楽しくなかった。仲の良い友たちやらがクラスにいたから、いちおう毎日通っていましたが。
 もちろん「僕の時代はそうだった」ということですし、僕が高校時代だったのは半世紀近く昔のことです。それから状況はずいぶん変化したのだろうと思います。世界はどんどんグローバル化しているし、コンピュータや録音録画機器などの導入によって教育現場の設備も改良され、ずいぶん便利になっているはずです。とはいえその一方で、学校というシステムのあり方、その基本的な考え方は、今でも半世紀前とそれほど違いがないんじゃないか、という気がしないでもありません。外国語に関しておうなら今だってやはり、本当に生きた外国語を身につけるためには、個人的に外国に出て行くっしか方法がないみたいです。ヨーロッパなんかに行くと、若い人たちはたいてい流暢に英語を話します。本なんかも英語でどんどん読んでしまう(おかげで各国の出版社は自国語に翻訳された本が売れなくて困っているくらいです)。でも日本の若い人たちの多くはしゃべるにせよ、書くにせよ、今でもまだ生きた英語を使うことが苦手なようです。これはやはり大きな問題だと僕は考えます。このようないびつな教育システムをそのままに放置しておいて、一方で小学生のうちから英語を勉強させたって、そんなものはあまり役に立たないでしょう。教育産業を儲けさせるだけです。
 英語(外国語)だけではありません。ほとんどすべての学科において、この国の教育システムは基本的に、個人の資質を柔軟に伸ばすことをあまり考慮していないんじゃないかと思えてなりません。いまだにマニュアル通りに知識を詰め込み、受験技術を教えることに汲汲としているように見えます。そしてどこの大学に何人合格したというようなことに、教師も父兄も真剣に一喜一憂している。これはいささか情けないことですよね。
 学校に通っている間、よく両親から、あるいは先生から「学校にいる間にとにかくしっかり勉強をしておきなさい。若いうちにもっと身を入れて学んでおけばよかったと、大人になってから必ず後悔するから」と忠告されましたが、僕は学校を出たあと、そんな風に思ったことはただの一度もありません。むしろ「学校にいる間にもっとのびのびと好きなことをしておけばよかった。あんなつまらない暗記勉強をさせられて、人生を無駄にした」と後悔しているくらいです。まあ僕はいささか極端なケースかもしれませんが。
 
 僕は自分の好きなこと、興味のあることについては、身を入れてとことん突き詰めていく性格です。中途半端なところで、「まあ、いいか」と止まってしまったりはしません。自分の納得のいくところまでやる。しかし興味が持てないことは、それほど身を入れてやらない。というか、身を入れようという気持ちにどうしてもなれないのです。「これをやりなさい」とよそから(とくに上から)命じられたことに関しては、どうしてもおざなりにしかできないのです。
 スポーツにしてもそうです。僕は小学校から大学まで、体育の授業がいやでいやでしょうがありませんでした。体操着に着替えさせられて、グラウンドに連れて行かれて、やりたくもない運動をさせられるのが苦痛でたまらなかった。だからずっと長いあいだ自分は運動が不得意なんだと思っていました。でも社会に出て、自分の意思でスポーツを始めてみると、これがやたら面白いんです。「運動するのってこんなに楽しいものだったのか」と目から鱗がぼろぼろと落ちたような気持ちがしました。じゃあ、これまで学校でやらされてきたあの運動はいったい何だったんだろう? そう思うと茫然としてしまいました。もちろん人それぞれですし、簡単に一般化はできないでしょうが、極端に言えば、学校の体育の授業というのは、人をスポーツ嫌いにさせるために存在しているのではないのか、そういう気さえしました。
 もし人間を「犬的人格」と「猫的人格」に分類するなら、僕はほぼ完全に猫的人格になると思います。「右を向け」と言われたら、つい左を向いてしまう傾向があります。そういうことをしていて、ときどき「悪いな」とは思うんだけど、それが良くも悪くも僕のネイチャーになっています。そして世の中にはいろんなネイチャーがあっていいはずです。でも僕が経験してきた日本の教育システムは、僕の目には、共同体の役に立つ「犬的人格」をつくることを、ときにはそれを超えて、団体丸ごと目的地まで導かれる「羊的人格」をつくることを目的としているようにさえ見えました。
 そしてその傾向は教育のみならず、会社や官僚組織を中心とした日本の社会システムそのものにまで及んでいるように思えます。そしてそれは――その「数値重視」の硬直性と、「機械暗記」的な即効性・功利性志向は――様々な分野で深刻な弊害を生み出しているようです。ある時期にはそういう「功利的」システムはたしかにうまく機能してきました。社会全体の目的や目標がおおむね自明であった「行け行け」の時代には、そういうやり方が適していたかもしれません。しかし戦後の復興が終わり、高度経済成長が過去のものとなり、バブル経済が見事に破綻してしまったあと、そういう「みんなで船団を組んで、目的地に向かってただまっすぐ進んでいこうぜ」的な社会システムは、その役割を既に終えてしまっています。なぜなら僕らのこれからの行き先はもう、単一の視野では捉えきれないものになってしまっているからです。
 もちろん世の中が僕みたいな身勝手な性格の人間ばかりだったら、それはそれで困ったことになるでしょう。しかしさきほどの喩えで言えば、大きなやかんと小さなやかんは、台所の中で上手に併用されなくてはなりません。用途に応じて目的に応じて、それらをうまく使い分けていくのが人間の知恵というものです。あるいはコモンセンスというものです。いろんなタイプの、いろんな時間性の思考方法や世界観がうまく組み合わされ、それで初めて社会が円滑に、良い意味で効率よく動いていくのです。簡単に言えば「システムの洗練化」ということになるのかもしれません。
 どんな社会においてももちろんコンセンサスというものは必要です。それなくしては社会は立ちゆきません。しかしそれと同時に、コンセンサスからいくらか外れたところにいる比較的少数派の「例外」もそれなりに尊重されなくてはなりません。あるいはきちんと視野に収められていなければなりません。成熟した社会にあっては、そのバランスが重要な要素になってきます。そのバランスのとり方によって、社会に奥行きと深みと内省が生まれます。でも見たところ現在の日本では、そういう方向に向けての舵がまだ十分うまく切られていないようです。
 
 たとえば二〇一一年三月の、福島の原子力発電所事故ですが、その報道を追っていると、「これは根本的には、日本の社会システムそのものによってもたらされた必然的災害(人災)なんじゃないか」という暗澹とした思いにとらわれることになります。おそらくみなさんもおおむね同じような思いを抱いておられるのではないでしょうか。
 原子力発電所事故のために、数万の人々が住み慣れた故郷を追われ、そこに帰るめどさえ立たないという立場に追い込まれています。本当に胸の痛むことです。そのような状況をもたらしたものは、直接的に見れば、通常の想定を超えた自然災害であり、いくつか重なった不運な偶然です。しかしそれがこのような致命的な悲劇の段階にまで推し進められたのは、僕が思うに現行システムの抱える構造的な欠陥のためであり、それが生み出したひずみのためです。システム内における責任の不在であり、判断能力の欠落です。他人の痛みを「想定」することのない、想像力を失った悪しき効率性です。
「経済効率が良い」というだけで、ほとんどその一点だけで、原子力発電が国策として有無を言わせず推し進められ、そこに潜在するリスクが(あるいは実際にいろんなかたちでちょくちょくと現実化してきたリスクが)意図的に人目から隠蔽されてきた。要するにそのつけが今回我々にまわってきたわけです。そのような社会システムの根幹にまで染み込んだ「行け行け」的な体質に光を当て、問題点を明らかにし、根本から修正していかない限り、同じような悲劇がまたどこかで引き起こされるのではないでしょうか。
 原子力発電は資源を持たない日本にとってどうしても必要なんだという意見には、それなりに一理あるかもしれません。僕は原則として原子力発電には反対の立場をとっていますが、もし信頼できる管理者によって注意深く管理され、しかるべき第三者機関によって運営が厳しく監視され、すべての情報が正確にパブリックに開示されていれば、そこにはある程度の話し合いの余地があるかもしれません。しかし原子力発電のような致命的な被害をもたらす可能性を持つ設備が、ひとつの国を滅ぼすかもしれない危険性をはらんだシステムが(実際にチェルノブイリ事故はソビエト連邦を崩壊させる一因になりました)、「数値重視」「効率優先」的な体質を持つ営利企業によって運営されるとき、そして人間性に対するシンパシーを欠いた「機械暗記」「上意下達」的な官僚組織がそれを「指導」「監視」するとき、そこには身の毛もよだつようなリスクが生まれます。それは国土を汚し、自然をねじ曲げ、国民の身体を損ない、国家の信用を失墜させ、多くの人々から固有の生活環境を奪ってしまう結果をもたらすかもしれません。
 
 話がいささか広がってしまいましたが、僕が言いたいのは、日本の教育システムの矛盾は、そのまま社会システムの矛盾に結びついているのだということです。あるいはむしろその逆かもしれませんが。いずれにせよそのような矛盾をこのまま放置しておくような余裕はもはやないというところまで来てしまいました。
 とにかく、また学校のことに話を戻します。
 僕が学校時代を送った一九五〇年代後半から六〇年代にかけては、いじめや登校拒否は、まだそれほど深刻な問題にはなっていませんでした。もちろん学校や教育システムに問題がなかったというのではないのですが(問題はけっこうあったと思います)、少なくても僕自身に関していえば、自分のまわりにいじめや登校拒否の例を目にすることはほとんどありませんでした。いくつかあるにはあったけれど、それほど深刻なものではありませんでした。
 戦後まだ間がない時代で、国全体がまだ比較的貧しく、「復興」「発展」というはっきりとした目標を持って動いていたせいがあるのだろうと僕は考えます。問題や矛盾を含んでいるにせよ、そこには基本的にポジティブな空気がありました。子供たちの間にもおそらく、そういうまわりの「方向性」のようなものは、目に見えず作用していたのでしょう。子供たちの世界であっても、ネガティブな精神モーメントが大きな力を持つことは、日常的にあまりなかったように思います。というか、「このままがんばっていれば、まわりの問題や矛盾はそのうちにだんだん消えていくのではないか」という楽観的な思いが基本にありました。だから僕も学校がそれほど好きではなかったけれど、まあ「行くのが当たり前」のこととして、とくに疑問も抱かず、わりに真面目に学校に通っていました。
 でも今では、新聞や雑誌やテレビの報道にそのような話題が出てこない日が珍しいというくらい、いじめや登校拒否は大きな社会問題になっています。いじめを受けた少なくない数の子供たちが、自らの命を絶っています。これは本当に悲劇という以外に言いようがありません。いろんな人がそのような問題についていろんな意見を述べ、社会的にいろんな対策がとられていますが、その傾向が収まる気配はいっこうに見えません。
 なにも生徒同士のいじめだけではありません。教師の側にもかなり問題がありそうです。けっこう前の話になりますが、神戸の学校で始業ベルとともに正門の重い扉を先生が閉めて、女生徒そこに挟まれて亡くなってしまったという事件がありました。「最近は生徒の遅刻があまりに多く、そうせざるを得なかった」というのが、その教師の弁明でした。遅刻するのはもちろんあまり褒められたことではありません。しかし学校に数分遅刻することと、一人の人間の命とどちらが重い価値を持つか、そんなのは考えるまでもないことです。
 この先生の中では「遅刻を許さない」という狭い目的意識が頭の中で異様に特化して膨らんで、世界をバランス良く見る視野が失われています。バランスの感覚というのは教育者にとってとても大切な資質であるはずなのですが。新聞には「でもあの先生は教育熱心な良い先生だったから」という父兄のコメントも載っていました。しかしそういうことを口にする――口にできる――方にもかなり問題がありそうです。殺された側の、押しつぶされた痛みはいったいどこにやられてしまったのでしょう?
 比喩的に生徒を圧殺してしまう学校というものは想像できるのですが、肉体的に実際に生徒を圧死させてしまう学校となると、これは僕の想像を遥かに超えています。
 そのような教育現場の病的症状(と言っていいと思います)は、言うまでもなく、社会システムの病的症状の投影にほかなりません。社会全体に自然な勢いがあり、目標がしっかり定まっていれば、教育システムに多少の問題があったとしても、それはなんとか「場の力」でもってうまく乗り越えられます。しかし社会の勢いが失われ、閉塞感のようなものがあちこちに生まれてきたとき、それが最も顕著に現れ、最も強い作用を及ぼすのは教育の場です。学校があり、教室です。なぜなら子供たちは、坑道のカナリアと同じで、そういう濁った空気をいちばん最初に、最も敏感に感じ取る存在であるからです。
 さっきも申し上げましたように、僕が子供だった頃は、社会そのものに「伸びしろ」がありました。だから個人と制度のせめぎ合いみたいな問題も、そのスペースに吸収されていって、それほど大きな社会問題にならなかった。社会全体が動いていたから、そのモーメントがいろんな矛盾やフラストレーションを呑み込んでいきました。別の言い方をすれば、困ったときに逃げ込むことのできる余地や隙間みたいなものが、あちこちにあったわけです。しかし高度成長時代も終わり、バブルの時代も終わった今となっては、そういう避難スペースを見つけることがむずかしくなっています。大きな流れにまかせておけばなんとかなる、というようなおおまかな解決方法はもはや成立しません。
 そういう「逃げ場の不足した」社会がもたらす教育現場の深刻な問題に対して、我々はなんとか新たな解決方法を見つけていく必要があります。というか、順番から言いますと、その新たな解決方法を見つけることのできそうな場所を、まずどこかにこしらえていく必要があります。
 それはどのような場所か?
 個人とシステムとがお互いに自由に動き、穏やかにネゴシエーションしながら、それぞれにとって最も有効な接面を見出していくことのできる場所です。言い換えれば、一人ひとりがそこで自由に手足を伸ばし、ゆっくり呼吸できるスペースです。制度、ヒエラルキー、効率、いじめ、そんなものから離れられる場所です。簡単に言えば、温かな一時的避難場所です。誰でもそこに自由に入っていけるし、そこから自由に出て行くことができます。それは言うなれば「個」と「共同体」との緩やかな中間地域に属する場所です。そのどのあたりにポジションをとるかは、一人ひとりの裁量にまかされています。とりあえずそれを僕は「個の回復スペース」と呼びたいと思います。
 最初は小さなスペースでいいんです、何も大がかりなものでなくてもいい。手作りみたいな狭い場所で、とにかくいろんな可能性を実際に試してみて、もし何かがうまくいくようであれば、それをひとつのモデル=たたき台として、より発展させていけばいい。僕はそう考えます。時間はある程度かかるかもしれませんが、それがいちばん正しい、筋の通ったやり方ではないかと思います。そういう場所がいろんなところに、自然発生的に生まれていけばいいなと思うのです。
 最悪のケースは、文科省みたいなところが上からひとつの制度として、そういうものを現場に押しつけることです。僕らはここで「個の回復」を問題としているわけですから、それを国家が制度的に解決しようとしたりすれば、まさに本末転倒というか、一種の笑劇(ファルス)になりかねません。
 
 僕個人の話をしますが、今から振り返って考えてみると、学校に通っていた頃の僕にとってのいちばん大きな救いは、そこで何人かの親しい友人を作れたことと、たくさんの本を読んだことだったと思います。
 本について言えば僕は、なにしろ実にいろんな種類の書物を、燃えさかる窯にスコップで放り込むみたいに、片端から貪(むさぼ)り読んでいきました。それらの書物を一冊一冊味わい、消化していくだけで日々忙しく(消化しきれないことも多かったですが)、それ以外のものごとについて考えを巡らせているような余裕もほとんどないような状態でした。僕にとってはそれがかえって良かったのかもしれないなと思うこともあります。自分のまわりの状況を見回し、そこにある不自然さや矛盾の欺瞞について真剣に考え、納得いかないことを正面から追及していったとしたら、あるいは袋小路みたいなところに追い込まれ、きつい思いをしていたかもしれません。
 それとともに、いろんな種類の本を読み漁ったことによって、視野がある程度ナチュラルに「相対化」されていったことも、十代の僕にとって大きな意味あいを持っていたと思います。本の中に描かれた様々な感情をほとんど自分のものとして体験し、イマジネーションの中で時間や空間を自由に行き来し、様々な言葉を自分の身体に通過させたことによって、僕の視点は多かれ少なかれ複合的になっていったということです。つまり今自分が立っている地点から世界を眺めるというだけではなく、少し離れたよその地点から、世界を眺めている自分自身の姿をも、それなりに客観的に眺めることができるようになったわけです。
 ものごとを自分の観点からばかり眺めていると、どうしても世界がぐつぐつと煮詰まってきます。身体がこわばり、フットワークが重くなり、うまく身動きがとれなくなってきます。でもいくつかの視点から自分の立ち位置を眺めることができるようになると、言い換えれば、自分という存在を何か別の体系に託せるようになると、世界はより立体性と柔軟性を帯びてきます。これは人がこの世界を生きていく上で、とても大事な意味を持つ姿勢であるはずだと、僕は考えています。読書を通じてそれを学びとれたことは、僕にとって大きな収穫でした。
 もし本というものがなかったら、もしそれほどたくさんの本を読まなかったなら、僕の人生はおそらく今あるものよりもっと寒々しく、ぎすぎすしたものになっていたはずです。つまり僕にとっては読書という行為が、そのままひとつの学校だったのです。lそれは僕のために建てられ、運営されているカスタムメイドの学校であり、僕はそこで多くの大切なことを身をもって学んでいきました。そこにはしちめんどくさい規則もなく、数字による評価もなく、激しい順位争いもありませんでした。もちろんいじめみたいなものもありません。僕は大きな「制度」をうまく確保することができたわけです。
 僕がイメージしている「個の回復スペース」というのは、まさにそれに近いものです。何も読書だけに限りません。現実の学校制度にうまく馴染めない子供たちであっても、教室の勉強にそれほど興味が持てない子供たちであっても、もしそのようなカスタムメイドの「個の回復スペース」を手に入れることができたなら、そしてそこで自分に向いたもの、自分の背丈に合ったものを見つけ、その可能性を自分のペースで伸ばしていくことができたなら、うまく自然に「制度の壁」を克服していけるのではないかと思います。しかしそのためには、そのような心のあり方=「個としての生き方」を理解し、評価する共同体の、あるいは家庭の後押しが必要になってきます。
 うちの両親はどちらも国語の先生だったから(母親は結婚したときに仕事をやめましたが)、僕が本を読むことについては、終始ほとんど一言も文句を言いませんでした。僕の学業成績に対して少なからず不満は持っていても、「本なんか読まないで試験勉強をしなさい」とは言われなかった。あるいは少しは言われたかもしれないけど、記憶には残っていません。まあその程度にしか言われなかったのでしょう。それはやはり僕が両親に対して、感謝しなくてはならないことのひとつであるように思います。
 
 もう一度繰り返しますが、僕は学校という「制度」があまり好きになれませんでした。何人かの優れた教師に巡り合うことができて、いくつかの大事なことは学べましたが、それを相殺して余りあるくらい、ほとんどの授業や講義は退屈でした。学校生活を終えた時点で、「人生でもうこれ以上の退屈さは必要ないんじゃないか」と思えるくらい退屈でした。でもまあ、いくらそう思ったところで、僕らの人生において、退屈さは次から次へと、容赦なく空から舞い降り、地から沸いて出てくるわけですが。
 でもまあ、学校が好きでしょうがなかった、学校に行けなくなってとても淋しいというような人は、あまり小説家にならないのかもしれません。というのは、小説家というのは、頭の中で自分だけの世界をどんどんこしらえていく人間だからです。僕なんかも授業中は、授業なんかろくに聞かないで、ありとあらゆる空想に耽っていたような気がします。もし僕が今現在子供だったら、学校にうまく同化できず、登校拒否児童になっていたかもしれません。僕の少年時代には幸か不幸か、登校拒否みたいなことがまだトレンドにはなっていなかったので、「学校にいかない」なんていう選択肢そのものがなかなか頭に浮かばなかったみたいです。
 どんな時代にあっても、どんな世の中であっても、想像力というものは大事な意味を持ちます。
 想像力の対極にあるもののひとつが「効率」です。数万人に及ぶ福島の人々を故郷の地から追い立てたのも、元を正せばその「効率」です。「原子力発電は効率の良いエネルギーであり、故に善である」という発想が、その発想から結果的にでっちあげられた「安全神話」という虚構が、このような悲劇的な状況を、回復のきかない惨事を、この国にもたらしたのです。それはまさに我々の想像力の敗北であった、と言っていいかもしれません。今からでも遅くはありません。我々はそのような「効率」という、短絡した危険な価値観に対抗できる、自由な思考と発想の軸を、個人の中に打ち立てなくてはなりません。そしてその軸を、共同体=コミュニティーへと伸ばしていかなくてはなりません。
 とはいっても、僕が学校教育に望むのは「子供たちの想像力を豊かにしよう」というようなことではありません。そこまでは望みません。子供たちの想像力を豊かにするのは、なんといっても子供たち自身だからです。先生でもないし、教育設備でもありません。ましてや国や自治体の教育方針なんかではない。子供たちみんながみんな、豊かな想像力を持ち合わせているわけではありません。駆けっこの得意な子供がいて、その一方で駆けっこのあまり得意ではない子供がいるのと同じことです。想像力の豊かな子供たちがいて、その一方で想像力のあまり豊かとは言えない――でもおそらく他の方面に優れた才能を発揮する――子供たちがいます。当然のことです。それが社会です。「子供たちの想像力を豊かにしよう」なんていうのがひとつの決まった「目標」になると、それはそれでまたまた変なことになってしまいそうです。
 僕が学校に望むのは、「想像力を持っている子供たちの想像力を圧殺してくれるな」という、ただそれだけです。それで十分です。ひとつひとつの個性に生き残れる場所を与えてもらいたい。そうすれば学校はもっと充実した自由な場所になっていくはずです。そして同時に、それと並行して、社会そのものも、もっと充実した自由な場所になっていくはずです。
 僕は一人の小説家としてそう考えます。まあ、僕が考えて、それでどうなるというものでもないのでしょうが。(第8回は了)

at 20:17, 砂田好正, 被災地復興

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