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円・ユーロ交換の仕事

 ドイツのハノーバーという都市を旅したときの話である。セビットという情報関連の展示会を視察に行ったのである。
ある日、円をユーロに交換しようと思い、それが可能な銀行を探した。道路わきに銀行らしき建物があったので、そこで「エックスチェンジ」とかなんとか言って、可能な場所を尋ねた。すると応対した中年の男性は、親切に場所を教えてくれた。
その指示に従って歩いて行くと、確かに交換が可能と思われる窓口を発見した。そして列に並び、窓口の男性に数万円を渡して、ユーロに交換してもらったのである。その日は、窓口の男性は当たり前のように、電卓で計算して交換してくれたのである。
 翌日、まだユーロが足りないと思った私は、同じ建物の、同じ窓口に並んだ。その窓口には前日とは違う中年の女性が座っていた。私の番が来たので、この日も数万円を渡し、ユーロに交換してもらおうと思った。この時も、「エックスチェンジ」とか言って、片言の英語で要請したのである。ところが、その中年の女性は「ノー」と言うのである。私は、「イエスタディ・アイ・キャン」とか片言の英語で言っても、「ノー」と言うだけである。私はユーロへの交換を諦め、目的を達することができなかった。その窓口は明らかに交換が可能な場所であった。前日は交換ができたのだから、そう考えざるを得ない。しかし、翌日の中年の女性は、円・ユーロの交換をする計算能力を持っていなかったのである。
ドイツ・ハノーバーという都市は、大規模な展示会場があるとは言え、ドイツの中でも決して大都市ではない。円・ユーロの交換をする計算能力のある人材は少なかったのだろう。それでも、その中年の女性が雇用され、窓口にいたことが、日本人の私には意外だった。
 この交換できなかった直後の私は、軽い憤りを感じた。円からユーロへの交換業務はそう難しいことではない、と私には思えた。そしてそこが日本であれば、大いに文句を言っただろうと思った。周りも許さないだろうと思った。
 しかし、いま思うことは、私は仕事というものを堅苦しく考えすぎている、ということである。できるのが当然、能力のないのはおかしい、と堅苦しく考えている私のほうがおかしい、と思うのである。そして、私の考えは、能力のない中年の女性を責めるのではなく、寛容さを持って許すべきということに至った。
 このドイツでの体験を経て、他者の仕事に対し、寛容な考えを持つようになった。そのくらいの寛容さが必要だと思うようになった。もちろん、たとえば交通機関などの安全性を要請される仕事において、その主テーマとしての安全性が確保できないのでは困る。それでは交通機関としての社会的役割を果たしていない。おの仕事については、確かに厳密さが必要だろう。しかし今回、私が経験した仕事ぶりはそれほどの重大事ではない。もっと鷹揚に考えても良い仕事の分野もあるはずだ。私たち日本人は、ある分野の仕事に対し、それに関わる就業者の能力について、過度に、厳密さを要求しているのではないか。
過度に堅苦しい要求が、「人間中心の職場作り」を阻害している。そしてドイツのハノーバーにおける、鷹揚と言える仕事の能力についての価値観に、いまは好感さえ覚えるのである。私たちは、ある分野の仕事について、仕事やその能力に対して寛容な価値観を持つべきなのである。私のように考える人は少ないかもしれない。読者の皆さんはどのようにお考えだろうか。
 

at 11:00, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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