<< デリバティブ取引に思う | main | デリバティブ取引に思う >>

デリバティブ取引に思う

 

 いま、私の手許に100万円の札束があるとする。その100万円で上場企業の株式でも良いし、何らかの金融商品を買ったとする。そして1年後、それを80万円で売ったとする。手許には80万円の札束が戻って来たのであり、逆に言えば20万円の損をしたことになる。

 それではこの場合、その損をした分の20万円はどこに行ったのであろうか。答えは簡単である。20万円の札束は、一人の誰か、複数の誰かが持っていることになる。合計20万円の得をした人がいるのである。

 このように市場(マーケット)というものは、誰かが損をすれば、誰かが得をするという場の特性を持っている。別の言い方をすれば、敗者が居れば勝者がいるという、勝負の世界だと言ってよい。つまりこのことを突き詰めて行けば、賭け率を上げていけば、博打と何ら変わらないという場の性格を持っているのである。これが、自由競争の市場主義の一面であり、「カジノ資本主義」と言われる所以である。

 デリバティブ取引にしろ、それを利用した「仕組み債」にしろ、それが市場で取引されている限り事情は変わらない。△能劼戮真佑六伝箸澪弔20万円の損をしたのであり、その20万円を合計として得をした人がいるということである。

 中小企業のオーナーが仕組み債を購入して大きな損失を被ったという現在の状況について、オーナーの損は、別の人の得を生んでいるのである。そして、その「別の人」は、円高なら円高のリスクをヘッジング(保険つなぎ)するという目的で、その金融商品を市場に売りに出していると考えて良いのである。

損をしたオーナーが敗者であり、得をした「別の人」が勝者であることは言うまでもない。そして、オーナーが「大きな」損失を被ったということは、その金融商品が、その仕組み債が、賭け率の高い、博打のような商品であったと言って差し支えないのである。

at 13:38, 砂田好正, デリバティブ取引

comments(0), trackbacks(0), - -

comment









trackback
url:http://blog1.wiselink.biz/trackback/7