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個人に対する性善説の採用

 私は、前項で「どちらかというと組織=性悪説」を採用すると述べた。その理由も述べたつもりである。一方、私は、職場で働く会社員、その個人については性善説を採用したいと思う。性善説となる得る可能性を、個人は持っていると思うのである。

 私は、この文章の2章で、職場というのは一種の「戦場」であると述べた。大変、過酷な場であるのが、戦闘行為の行われる戦場であり、そこでは人間性を確保することが非常に困難である。そこでは多くの個人(兵士)が人間性を失った行為・行動に走ってしまう。そのことは、自分の生命に、生死に関わる戦場だから当然なのかもしれない。しかし、そういう過酷な戦場でも、人間性を失わず、他者への配慮を欠かさない個人(兵士)はいるのである。私たちは、戦争を扱った小説などで、そういう人間としての尊厳を失わない個人(兵士)がいることを知っている。

 職場が「戦場」に準えられるとすると、職場にいる個人(社員)にも同じことが言える。職場においても人間としての尊厳、良質な人間性を失わない、他者への配慮に行き届いた個人(社員)は、存在し得ると思うのだ。お互いに気持ち良く働けるように、個人(社員)はあり得る、存在し得ると思うのだ。私たちは、誰でもがそういう可能性を内包した個人(社員)であり、それ故に私は、職場における個人(社員)について、性善説を採用したいのだ。

 私を含めた個人にとって、この人間としての道は決して簡易なものではないだろう。そこには人間としての鍛錬や努力が必要だろう。私はそういう個人になることの難しさを感じる一人であるが、これからの人生でそういう人間を目指して努力していきたいと思う。そして職場で働いていると、そういう貴重な人間性を保持した個人(社員)、人間としての尊厳を備えた個人(社員)に出会うことができるのだ。そういう人間になるために、私もまた、鍛錬し、努力したいと思う。

 

at 11:39, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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