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集団としての組織=性悪説

 職場とは、会社などの組織においての、その組織員が仕事をする場所である。僅かな例外を除けば、複数の人々で、集団で仕事をする。私は、職場という場を持つ会社などの組織について、どちらかというと、性悪説を採用している。
そもそも、仕事というのは一人でできるものではなく、複数の人々が関わるチームで遂行される。その集団が、集団である故に大きな成果を上げることもある。集合知としての優れたアイディアが生まれることもある。
しかし一方で、法律を逸脱してしまうような経営や管理や戦略が遂行されてしまいがちなのが、組織としての会社なのである。法令順守するのが難しいのも集団としての組織なのである。しかも集団としての組織故に、法律の逸脱を加速させてしまうのも、また組織なのではないだろうか。そのことが、私が、組織=性悪説を唱える基本的な理由なのである。
 私は、組織運営としての経営管理において、労働基準法を守ることが大切だと提唱している。日本の労働基準法は、労働法として優れた法律であり、経営陣や管理者がそれを守ってほしいというのが、私の考え方である。
 このことは、管理手段として当たり前のように思う読者がいるかもしれないが、労働基準法を守らない企業が多いのが、実状なのである。最低限の労働条件を示した労働基準法さえ、多くの会社が守っていないのだ。その結果、職場の人間関係を荒んだものにし、パワハラが横行し、働きづらい職場となってしまうのである。
 では、顧客対応としての経営戦略についてはどうだろうか。最近では有名レストランの食品素材の偽装問題が浮上している。談合など価格設定についての独禁法違反事件も頻繁に起きる。こうした事例を持ち出すまでもなく、経営戦略においても同様に法令違反が後を絶たない。これらは顧客への何らかの裏切りであり、利益偏重の経営戦略として糾弾されなくてはならない。そして一方で、
会社などの組織がこのような悪しき経営戦略を採用していることと、社内の秩序が乱れることとは、共通の基盤を持っているように思われる。決して無関係ではないのだ。
 私の組織=性悪説は、以上のような法令違反の頻発に接したうえでの説である。私には集団としての組織は、法令違反を犯しがちだということである。その悪しき仕事を加速させてしまうと思うのである。そして、集団としての組織について、少なくても現状ではそう言い得るというのが、私の認識である。
 

at 10:29, 砂田好正, 人間中心の職場作り

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