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主体的な思考を念頭に

「お前なんて辞めちまえ」
「この会社にお前のカネは一円も無いのだぞ」
 このようなことを上司から言われたことはないだろうか。
 私のような60歳代の世代は、かつての職場では、こうした言動は普通に、当たり前に行き交っていたように思う。自分が言われたこともあるし、上司が部下に言うのを聞いたこともある。そのため、「職場にはそんな言動は多く行き交うのであり、安易にパワハラだと断定しないほうが良い」という意見も、一面の正当性があるのかもしれない。パワハラという用語が人々の間で言われるようになったのはつい最近のことである。かつては、このような言動もパワハラとして認識されていなかったのである。
 こうした歴史的推移をみても、職場というのはパワハラが生じやすい場所である、とつくづく思う。多くの職場がそうであるような、上意下達のヒエラルキー型組織の中では、生じてしまいがちなのである。
 そして私は、この項の冒頭のような言動をパワハラだと認識することから、改めて出発したい。なぜならば、このような言動が行き交うことで、職場は殺伐とし、荒れてしまうのである。快適に働くことができなくなってしまうのである。その結果、仕事の効率が下がってしまう。だからこそ、これらの言動はパワハラとして否定されるべきなのである。以前は見過ごされてきたかもしれない言動も糾弾されるべきなのである。それが、この論述の題名である「人間中心の職場論」に欠かせない視点である。
 そのうえで職場のパワハラについて考える場合、私たちは、その加害者になることも、被害者になることも、可能性として大いにあり得るという視点を持ちたい。被害者になりやすいと考えるだけでなく、加害者になることも大いにあり得るのである。そして自らを振り返り、自省し、抑制するという、主体的な認識が求められている。そうでなければ、パワハラの無い職場は実現しようもない。パワハラが生じやすい職場であるだけに、その所属員一人ひとりが、そういう自省的、主体的な認識を必要としている。そのことを念頭に置きながら、「パワハラの横行する職場」をさらに考えていきたい。
 

at 11:13, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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