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教育的指導としての身体的暴力

 前々項の新聞記事と前項の桑田真澄氏の見解を読んでいただけたろうか。
 前々項は、2013年に起きた高校生自殺の記事である。その原因になったスポーツ部の指導者による身体的暴力について書かれている。また、こうしたスポーツ部の指導において身体的暴力が広く行われている実情が書かれている。事実としての現状を示すものである。
  前項は、そうした身体的暴力についての桑田真澄氏の見解である。その現状に対する良識としての見解が示されている。プロ野球でスター選手となった人の見解だけに、私のこの文章における見解を述べるにあたり、大いに勇気付けられることとなった。そして、この桑田氏の見解を参考にして、私の見解が作られている。
  なお、桑田真澄氏は平田竹男氏との対談・共著で『野球を学問する』という本を新潮社から発行している。この本の一部においても、身体的暴力についての、同様の見解が示されている。またこの本からは、桑田氏が大学院生として完成させた野球界をテーマにした論文について、その真摯な姿勢が読みとれる。私は同書を一読したのであるが、久々に良書と感じられるものであった。
 さて、教育的指導としての身体的暴力についての私の見解である。私は、その暴力について、仮りに身体的暴力を全否定できないにしても、最高の倫理観を持って実行されるべき性格の行為だと思っているのだ。
身体的暴力一般について、現状の社会的理念においては全否定できないものとして認識できるのかもしれない。身体的暴力を受けたときの自己防衛は、否定されるべきものではない。また、その身体的暴力が、愛情に裏打ちされている、肯定されるべき場合もあるだろう。言葉ではわからない場合、愛のムチとしての身体的暴力もあり得るとは思う。
 しかし、私の見解の結論を述べれば、身体的暴力は最高の倫理観を持って実行されるべきなのだ。最高の倫理観に裏打ちされていない限り、特に教育的指導としての身体的暴力は実行されるべきではない。ぎりぎりの、最後の選択手段なのである。
 桑田氏がスポーツ指導における身体的暴力を否定しているのも、最高の倫理観が欠如した、愛情のない、安易なそれの否定だと思われる。逆に、教育指導において身体的暴力が頻繁に広く行われていることは、教育的指導という理念が身体的暴力に安易に走りやすい、その危うさを示しているようにも思われる。
 スポーツ界における指導者の身体的暴力について見てきたが、職場の上司と部下の関係性においても同様のことが言える。もちろん、怒りやすく、粗暴なタイプの上司というものもいるだろう。そうしたタイプの上司は、それこそパワハラで告発されてしまうだろう。ただ、教育的指導としての、上司の叱責としての身体的暴力というケースも多くある。そうした身体的暴力についても、私はスポーツ界における桑田氏と同じ立場を採用したい。私の言い回しを使えば、ここでも、最高の倫理観のない、愛情のない、安易な身体的暴力は否定されるべきなのだ。紛れもないパワハラ行為として否定されるべきなのだ。そうした考え方が、「職場のパワハラ」が注目される現状において、社会的に認識されつつあると言えるだろう。
 

at 14:01, 砂田好正, パワハラが横行する職場

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